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ヘルニア国物語 1話 [椎間板ヘルニア]

こんばんは!


今回は「椎間板ヘルニア」についてお話しようとおもいます。



実は僕、コイツになっちゃって手術までしたんですよ。今はもう、重いものを持ったり、踊ったり、遠くまで散歩したり出来るまで回復しました。

日本だけでも10人に1人?だっけかな?腰痛で悩んでる人って、すんごく多いんですってね。あの苦しみはなった人にしかわからないんすよ、ホント。


そんな方々に向けて、18才の時に手術した僕の体験をお話しして、何か参考になれれば幸いです。



でわでわ。


小学生時代、僕は外で走りまわる元気の良いお子様でした。携帯電話やスマートフォン、ポケベルなんてのも普及してない時代。
なのでひたすら公園で遊んだり、自転車でどこまでも行っちゃってました。

まあ、活発な少年だったんですわ。


それから中学になり、プレイステーションが出てきた時から生活が変わってきました。友達とあってもゲームをやることが多くなったんです。
部活もバドミントン部に入って、活動してたんですけど、ゲームのおかげで昼夜逆転生活に。それが高校入るまで続きましたね~。


さあ、異変が起きたのは17歳の時。僕は全日制の高校を辞めて、通信制の学校に通っていました。働きたかったんですね。
アルバイトで飲食の仕事を始めてて。

この時です。

「あれ?なんか腰が変な感じ・・・」


腰痛の最初の時はまず、違和感からきます。この時もそうでした。しかし気にせず日々、生活していました。


ところが・・・・・


ある朝、布団から出ようとしたら痛みが走りました。
右腰から右足のつま先にかけて。それは若干のしびれも伴い、常につきまとう様に感じました。


「まあ治るっしょ。」

ぐらいの軽い気持ちでまだ病院もいかず、生活していました。

実際、起きて数時間たつと痛みがやわらいだりしてたので、気にはとめてなかったですね。


しかし。


それが仇となり、痛みが消える所か、もっと痛くなっていき、痺れも感覚がなくなるまで酷くなっていったのです。。
しかもずっと!

飲食の仕事なので、鍋をふってたのですが、立つこともままならない状態でそういう動きをしてたので限界がきちゃいました。

仕事が出来ない・・・・。


これはアカンと思い、近くの整形外科に直行。診断は、「坐骨神経痛」。更に悪化してたので・・・・
来ましたよ・・・・・。


「椎間板のヘルニアだね~。」



がーーーーーん。


実は僕の親父もそれで3回も手術してたんですよ。近くでその辛さを見てきたので、言われた時はショックでした。


「オレも手術か・・・・。」


覚悟してたんですが、その先生はすぐ手術は良しとしない人で、なるべく自分で治せっていう人だったので、ちょっと安心したんですね。
なんせ、デカイ怪我とかした事なかったから、手術には不安が先走っちゃって・・・。

しかし、安心したのもつかの間。これから壮絶なリハビリ生活が始まるとは、想像もしていなかった・・・・・・。


                                            ~つづく~


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